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学校だより

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学校便り   

2009年 10月 06日

学校便り_f0175922_24245.gif 全校朝会で、次のような話をしました。
 2016年のオリンピック開催は、ブラジルのリオデジャネイロに決定しましたね。惜しくも東京は第3位で、開催は出来ません。ブラジルは地球でみると日本の裏側で、かなり遠いところです。
 今から45年前の1964年(昭和39年))10月10日は、東京オリンピックの開会の日でした。10月10日は、統計的に晴れの日が1年中で多いと言うことでこの日が選ばれました。昭和41年からは、体育の日となりました。現在は、体育の日は10月10日ではなく、10月の第2月曜日になっていますね。
 これからの話は、東京オリンピックの時、実際にあったお話です。当時、中学生だった私は、そのことを知ってものすごく感動しました。そして、教員になって道徳の副読本でこの話にまた出会いました。

人間愛の金メダル 
 昭和39年(1964年)、第18回オリンピック東京大会が開かれたときのことです。ヨットレースは相模湾の江ノ島おき(神奈川県)で行われました。
 10月14日、この日は朝から、北西の強い風がふいていました。しゅん間風速15メートル以上、雨まじりの風にたたかれた海は大きな波をいくえにも立てて、あれ始めていました。しかし、レースは予定通りに開始されました。
 それぞれの国のヨットに乗り組む選手は二人です。スウエーデンチームのほこる「ハヤマ号」には、2年続けてスウエーデン選手権優勝のラースとスリグのキエル兄弟が乗っていました。午前11時、いよいよスタートです。21隻のヨットは、あれくるう波に向かって走りだしました。先頭のグループにすこしおくれたものの、スウエーデンチームの「ハヤマ号」は、あれるうみの波にびくともせずつき進みます。
 「スリグ、スピードをあげよう、先頭に追いつき、追い抜くのは、今だ。」
 目の前には同じコースを先行するオーストラリアの「ダイアブロ号」がいます。「ダイアブロ号」には、ウインター選手とダウ選手が乗り組んでいました。ヨットのかたむくのをふせぐために、ささえづなにつかまり、全身を外に乗り出していたウインター選手は、「ハヤマ号」がせまってくるのを見て、はっとしました。
 「追いこされてなるものか、思いっきりスピードを上げてやれ」
 乗り出した体をあお向けにして、ほの先を変えようとしました。そのとたんです。「あっ。」さえづなが切れました。ウインター選手は、あっという間にほうり出されて、波間に消えてしまいました。
 ダウ選手はびっくりして、ヨットをとめようとしましたが、ものすごいスピードで走っていたので、すぐにはとまりません。「ダイアブロ号」は、そのまま百メートルもつっ走りました。ようやくとまったヨットは、風にふかれて、木の葉のようにもまれます。
 ダウ選手は、マストにへばりつきながら、むちゅうでウインター選手のすがたをさがしました。もう、レースどころではありません。早く助けあげないことには、ウインター選手の命があぶないのです。
 「ダイアロブ号」は、あらしの中で急せん回をしました。けれども風速 12、3メートルの風にあおられて、そのまま横だおしになりました。「しまったこれじゃ、助けにも行けない。」救助用に配置してある船もとても間に合いそうにもありません。たおれたヨットにつかまったままのダウ選手の顔はまっ青になりました。ハヤマ号はたちまち追いついて、そのそばを通りぬけました。
 「スリグ、大変だ。オーストラリアの選手が海に落ちたぞ。」
 ハヤマ号の上でとっさにさけんだのはラース選手でした。レースに勝つためには、このまま走りぬけるほかありません。しかも、ハヤマ号の調子は、いつも以上にすばらしいのです。     
 救助するのはおれたちの役目じゃない.このまま一気に走りぬけよう。
 いや、待て、きけんにさらされている人の命を見すごしていいものだろうか。
 ラース選手とスリグ選手の頭の中には、いっしゅんの間に、二つの考えが行きかいました。.二人は顔を見合わせました。そしてスリグ選手が言いました。
 「兄さん、レースより人命だ.」、「うん」
 目と目がきらりと光り、うなづきあいました.ハヤマ号はいったんレースを中断しました。風を巧みに利用して向きをかえると、百メートルもバックして、ウインター選手を探しました。
 「あつ、あそこだ。」救命具に身を任せたウインター選手が、波の間に間にもまれます。「がんばれ、今すぐ、助けるぞ.」近づいたハヤマ号から、ウインター選手に向かって、さっとロープが投げられました。
 ロープにつかまったウインター選手は、ようやくハヤマ号に救い上げられました。間もなくそこへ、事故を知った救助の船がかけつけました。ウインター選手を無事に救助の船に送り届けたハヤマ号は、再びコースに戻りました。
 「レースはレース、最後までりっぱにはしりぬこう。」「ようし、がんばるぞ。」
 キエル兄弟は、ゴールに向かって、また、ハヤマ号を走らせました。
 ウインター選手を助けるために費やした時間は、およそ30分でした。ヨットレースでは、とうてい取り返せない時間です。それでも、力走を続け、ハヤマ号は、第12位でゴールに入りました。
 ゴールインしても、何事も無かったような顔つきのキエル兄弟のそばに、間もなく事故のことを知って、他の国々の選手たちが、相次いで集まってきました。新聞記者たちも、かけよってきました。次々にあく手を求められたキエル兄弟は、
 「助けるのが、海の男の友情だと思っただけさ。僕たちは、ヨットマンのルールを当たり前に守っただけだよ。」と、照れくさそうな顔で言いました。
 「きみたちこそ、人間愛の金メダル。」
 「われわれは、いつまでも、スウエーデンチームの名を忘れないだろう。」

 人々は、そう言って、心からキエル兄弟の行いをほめたたえましした。 
 この話は、子ども達には簡単に話しましたが、以上が全文です。
 皆さんは、キエル兄弟のような場面に出会ったらどうしますか。考えてみてください。助けようと思うか、そのままレースを続けて優勝をめざすか、どちらでしょうね。迷ってしまう人もいるでしょう。
 人間愛とは、人を大事に思う心、大切に思う心、人に思いやりを持って接する心と考えます。本物の金メダルではなく、心の金メダルをもらったのですね。

・・・・・お 知 ら せ・・・・・
 先日の大運動会では、多くの方々にご協力・ご参加いただき、盛大に運動会が出来ました。準備、後始末、またPTAバザーとご協力いただき感謝申し上げます。子ども達もよい思い出が出来たことと思います。ありがとうございました。

 10月に入りまして、各学年で校外学習や親子行事等が計画されていることと思います。子ども達にとって、体験学習の場であり、楽しみな行事です。普段と違う用意等もあるかと思いますので、ご協力よろしくお願いいたします。また、インフルエンザも流行しておりますので、引き続きご注意くださいますようお願いいたします。

by etazawa | 2009-10-06 18:08 | 学校だより